モンブラン下山と現在
2016年
モンブラン登頂したのはよかった。
ただ、そこからの下山が特にやられた。
日本を出てまだ4日しかたっておらず
時差ぼけと移動での疲れがあった。
そして高山病による頭痛。
なぜか下山して標高がドンドン下がっているのに、ドンドン頭が痛くなってきた。
また、水も足りてなかった。
登頂に出る前、1.5リットルあった水が
あっという間になくなり、山小屋で買おうと思っていたのが、水が6ユーロもした。
それをケチって買わなかった。高地では特に水を多く取らなければいけないのに間違った!
そんな中、下りはいいのだが、下山しているのに所々に登りの雪道が出てくる。
もう疲れすぎて登れなかった。
少し登っては休み、少し登っては休みの
繰り返し。
なんとか標高3800mの山小屋に戻ってきた時はダウン。
すぐ水を買いまくって飲みまくった。
その結果
なぜかウンコと吐き気をもよおした。
吐き気はなんとか我慢したが
ウンコは止まらなかった。
1本、3日分。
その後も頭痛と吐き気がおさまらず
その山小屋の地下の脱衣所の
ベンチで1時間ぐらい横になってダウン。
吐き気は治まったが、頭痛が治らず。
それでも、もう1時間半ぐらい下がった
テントが張ってあるテテルース小屋まで行かなければならない。
↑ケーブルカーを降りた周辺には
高山植物が綺麗に咲いていた。
テント場まで、なんとか踏ん張って下っていく。
その道が落石が多く危険な道。
落石に気を使っていた。
そして、テント場まで後15分ぐらいの所で起きた。
午後になり暖かく雪が緩んでいた。
もう、着けるという
ちょっと気の緩みもあった。
何気なく足跡をたどって下っていた。
そして、斜面の雪道を2〜3歩歩いた時だった。
ザーッと雪面が流れた。
そのまま、サーッと体ごとその雪面に
もっていかれた。
小さな雪崩に乗っかった。
ピッケルを斜面に刺す。
止まった。
が、ピッケルを掴んでいた手がスーッと抜けた。
運悪くこの日にピッケルと手を結ぶ紐が切れてしまっていた。
また、そのまま、スーッと雪と一緒に
体が落ちていく。
ピッケルよ、さよなら〜
とまでは思わなかったが
結構、冷静な自分がいた。
落ちる先はそこまで、深くなく
そこまで落ちても死なないだろう、
ただ、怪我をするかもしれない。
そう思い、ブーツにはめてるアイゼンで斜面をおもいっきり蹴って刺した。
止まった。
が、動けない。
動いたらまた崩れて落ちる。
梅干しみたいな脳味噌で考えた。
足のアイゼンだけでなく、両腕も雪にズッポリと刺す。
それをゆっくりと片足、片腕ずつ行い
何とか、難を逃れた。
前日には暖かくなると危ないという
忠告を受けていたのだが…。
朝に出発した自分のテントに戻ってきた時、もうぐったり。
ブーツを脱ぎ、何も食べずに
着替えもせずにそのまま
コテンとコテコテ、コテン
と朝まで眠りに就いた。
次の日、さらに下り
そしてシャモニーの街まで帰って
モンブラン登山を終えることが出来た。
この2日目の夜
激しい雨と雷にテントの中で襲われた。
雷やばかったー
テントに落ちてくるんじゃないかって
思った。
でも人間どうしようもなくなると
開きなおるしかないんだなって思った。
そして、現在はトルコのイスタンブールに来てしまった。
トルコのアララット山を登りにと思っていたのだが、自分がここへ入国する2日前にご存知のようにテロがあった。
入国するのを躊躇したが、全てにおいてイスタンブールまでの交通を手配をしていた。
バス×2回 飛行機 と。
一回起きたから次はそうそう同じ場所で起きないだろうってのもあり、ここまで来た。
ただ、居るだけでも心配かけるし
こんな状況で山を登るのも気がひける。
それなんで、ここでは山を登らず
すぐに抜けることにして
短い滞在で5日程滞在した。
そして今日の夜、飛行機でキルギスへ向かう予定。
しかし、何度来てもトルコはいいところで、いい人達だ。
巨大なモスクがそこら中にある。
イスタンブールはさすがと思う。
街を歩く限りでは、普通の幸せそうな日常がそこいらにある。
緊迫した感じは受けない。
こっちが気を使い過ぎてるぐらいで
地元の人達は気にしている感じは受けないが、受けないだけかもしれない。
こんな幸せな空間が突如、大きな悲しみを受けることになったのが、とても居たたまれない気持ちになる。
ただ、周りの人達は普通に見えるのだが
やはり、ちょっと危ないと思った。
潜んでる感があった。
また、ありそうな感じもする。
今の時期に行こうと思う人はあまりいないと思いますが、来たじぶんが言うのもあれですが、なるべく避けた方がいいんじゃないかと思いました。
そんなんでとりあえずキルギスへ!
飛びます飛びます!
⬇︎トルコ イスタンブール
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