ラストカントリー 中国 大どんでん返し
日本にいるけれど、最後の中国ネタです。
最後の最後、旅のゴール地点の中国 青島まで
とにかく、かっ飛ばしていた。
ネットで事前に調べたところ、7月30日に青島から日本への船があった。それにどうしても、乗りたかった。というのも、現在、群馬県でキャベツの収穫の仕事をさせてもらっているのだが
その仕事までに帰らなければいけなかったのと30日の船に乗れば時間的に余裕ができて下関からの帰路で友人と会う時間ができるというのもあった。
ただ、一番の理由は
最後に自分自身、追い込みたかったのが強かったと思う。
そんなんで飛ばしに飛ばした。
大まかな残り距離と日数を逆算すると一日平均150kmとかはしらなくちゃいけなかった。
モンゴルの首都ウランバトールあたりから、その飛ばし作戦を決行。
朝3時に起きて、夜の8時、9時とかまで走った。
1日も休まずに走った。
睡眠時間、3~4時間の日が続いた。
チャリを走りながら何度も寝そうになっていた。
タイヤがすり減りすぎ、プラス、中国の道路は鉄クズの嵐でパンクを毎日のようにした。
自転車で高速道路も走りまっくた。
(中国では一応高速はチャリは通行不可、けれども高速をチャリで走りまくった!地 方ではチャリで高速を走るのに寛容だったが北京近くになると厳しい。そこをトラックの陰に隠れて侵入したり朝、ゲートの係官が寝ている隙を見て侵入したりとで、かいくぐって高速を走っていた。見つかって怒られもしたが、分からなかった振りで通した。北京近郊で高速をチャリで走る奴なんかいないから長距離バス の乗客がこっちを見るわ見るわ。カメラで撮られるわ撮られるわ。中国のネットに載ったんじゃないかと思われる。一応、緊急停車用の広い端のスペースを走っ ていた。けれど、一度だけ、工事で高速の車線が一車線となり端のスペースがなくなったところをチャリで走った。クラクションを鳴らされまくられ、ソー リー、ソーリーと言いながら走ったけれども、あの時は本当に死ぬかと思った。)
また普段ならすんなり行くところ
これでもか、これでもかというほどハプニング続きで何度も6月30日の船を諦めかけた。
ある時は、一回のパンクで六ヶ所ほどの穴が空いた。全て鉄クズが刺さっていた。
ある時は、高速道路をでパンクをし、直そうと思い空気入れを取ろうとしたら、
何処かに落としたか空気入れが無くなっているのに気付き、周りに何もないところで
もうチャリごとヒッチしかないと思った時もあった。
(運よく高速の外に村を見つけた。荷を全ておろして、チャリを持ち上げ
ガードレールを越え高速道の高台をチャリを担いで下り、村で空気入れを借りて直した。)
また、首都 北京では町が大きすぎて道が分からず
3~4時間、街中をグルグル回り、気付けば時間は夜の11時とか。
もうダメだと諦めてふて寝をしたりもした。
北京、天津の大都市も滞在もせずにすぐに抜けた。
一日200kmを越えて走る日も何日かあった。
あと一回トラブルがあったら、もう30日の船に間に合わないあと一回、もう一回、トラブったら諦めよう。そう思って走ていた。
トラブルの度にもうダメだとガックシくるのだが
それでも諦めの悪い自分。
とりあえず、走るだけ走ろう。
やりきってダメだらしょうがない。
何とか間に合ってくれ、ミラクルよ起きてくれ
と思いながらもひたすら自転車をこいだ。
電動自転車にも勝つ自分のチャリの速さだった。
そう!! そして、なんとなんと
ミラクルが起きちゃった!
ギリギリのギリギリに着いちゃった!
何とか最終目的地の青島に6月30日の船が出港するその日にヘロヘロになりながら着くことが出来た!
間に合った!
着いた時刻は夕方5時。
船の出航時間は夜の8時。
青島のフェリーターミナルに、その5時に着くことが出来た。
やったー!これで日本に帰れる!
ついに来た!ついに着いた!本当に本当にこれで最後!
日本に帰れる!
ここまでくる想いが爆発したように喜びが込み上げてきた!
そしてその勢い爆発で
フェリーターミナルの入り口をくぐった!
そして警備員のおやっさんに
「今日の日本行きの船に乗ります!日本に帰ります!」と大声で伝えた!
すると、すると、おやっさんはこう言いました。
「残念ながら、日本行きの船をもう出ちゃいました。」
はえ???
いやいや、就航8時でしょ!?
「船はもういっちゃいました。」
ガツーーーン。。。。。。。
時間内に間に合ったのに船に乗れず!
最後の大どんでん返し!
ミラクルのミラクル返し!
最後の最後のびっくりドンキー!
ここまで飛ばしに飛ばしてきたのは
なんだったんだ!
ガックシもガックシ過ぎて
膝から崩れ落ちてその場でへたり込んでしまった!
5分以上立ち上がれなかった!
後で詳しく聞けば、船は出ていないが
出国する際のイミグレが閉まってしまったということだった。
結局、3日後の7月2日の
フェリーに乗って帰ることになった…。
そんなゴール地点の大どんでん返し!
PS、その続き。
仕方なく、船に乗れない気持ちを切り替えてここまで来た自分のご褒美として3日間、宿に泊まってゆっくりしようとした。
だが、ゴールしたのにもかかわらず全てにおいてすんなりといかなかった。
まずネットで宿を探そうとネット屋に入るも外人はダメーと3度も拒否をくらう。
(中国は国でネット規制しているため中国の身分証明がないと出来ない)
何とか、外人OKのネット屋を見つけ、宿を探し、そこで予約まで入れる。
次に宿まで迷いに迷う。人に聞きまくって何とか宿に到着。
最後に、宿にて。
予約した8ドルのドミトリーがオーバーブッキング。
30ドルのシングルしか空いてないと。
そしてそこから長い交渉が1時間ぐらい。
部屋の値段もまけてくれず、シャワーだけ浴びさせてくれと頼むもNO。
普段ならキレているところ、ゴールしたという何か分からない落ち着きがあったので冷静に対応。
交渉の末、何とかシャワーだけは浴びさせてもらった。
ゴールしてゆっくりと寝たかったのだが、どこかで野宿をしようと
その宿の外でパッキングをしているところに宿のボスが来た。
そのボスが自転車でスペインからここまで来て、ここがゴール地点だというのを聞いて、12ドルでシングルを泊めてくれるという。
8ドルのドミーを予約していたので
8ドルじゃないのか?と言おうかと思ったが
夜の11時。
疲れ切っていたので、手を打つことにした。
倒れるように部屋に入り、倒れるように眠りに着いた。
そんなんで長く長く続いた、この宿でのすったもんだを
そして長く長く続いた一日のどんでん返しを
そしてそして長く長く続いた
チャリの旅の
締めくくりのゴールだった。
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