モンゴルの風に吹かれて

チャリの旅(モンゴル)

強烈だったモンゴル。

何度か自転車での旅を辞めたいと思っていたけれど

本気50%、冗談50%ぐらいだった。

モンゴルでは120%本気で
辞めたいと思った。

モンゴル約2000kmを20日間で抜けたその前半の10日間。

物凄く強烈過ぎた。

 

まず地図が無かった。

正確には中国の地図の端に載っていたモンゴルの大雑把な地図のみ。

ネットでGoogleマップを写真に撮り、それを見て進んでいたけれども

ダート道やいくつにも分岐する細かな道なんか載っていない。

スピードメーターはウズベキスタン辺りで落として無くなり

自分がどのくらい走ったかが分からず、自分のいる位置が分からない。

自分が何処にいるのかが分からない・・・。

標識なんかもない。

車も1時間に1台通るか通らないか。

人がいなければ、何もない大地が広がってるだけ。

道を尋ねるのに尋ねられない。

動物に道を尋ねても答えてくれるはずがない。

頼りはコンパスと野生の感。

↓何もない、誰もいないダート道
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案の定、何度か道を間違った。

一度、峠を後ろからの風に乗り下った。

1時間ほど下って、すれ違ったバイクに乗る遊牧民に道を尋ねると

道が違うと言う。

再度その下った峠を、正面からの風を受けて3時間ほどかけて

登って戻った時があった。

 

何よりも一番強烈だったのが、モンゴルの道。

ダート道(砂、砂利道)が延々と続く。

それもボコボコが酷く醜い。

↓ダート道
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 ↓これ! この波を打つ道!ボコボコだらけ!
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このボコボコに加えて、道が砂地だらけ。

言うならば
砂浜のビーチをチャリで走るようなもの。

丘を越え、下りでスピードが出たと思えば砂地にはまり、ストップ。

自転車をこいでは、砂地で降りて押して歩く。

砂が無くなったと思って漕ぎ出すもまた砂で自転車を降り押して歩く。

何度か砂にタイヤがもっていかれ転倒もした。

↓水を貰った遊牧民 大家族
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ただ、始めの5日間ぐらいモンゴルの強い後ろからの背中を押してくれる風に乗った。

ダート道でもその風に乗り、いくつもの丘や峠を越えた。

風に乗りに乗りまくった。

ボコボコ道でも気にせずスピードを出してノリノリになった。

調子に乗りまくった。

調子に乗りまくった結果。

自転車がボロボロと壊れ出した。

モンゴルの大地を甘く見た。

自作パーツの多い自転車はモンゴルのダートに勝てなかった。

 

調子にのって、走っていたら、突然、前の籠が壊れはずれた。

籠下の荷を乗せる台もとれ、ペットボトル入れもはずれ

そしてブレーキの片方が振動でネジがはずれ、とれて無くなった。

籠が壊れたとき、ハンドルがとれないで良かったと一瞬思ったが

いっそうのこと、ハンドルがとれてしまえばいいと思った。

それならば、自転車断念のあきらめがつくし、走らなくていい理由ができると思った。

ブレーキの予備も持ってなく、その後、1週間ぐらい

一つのブレーキのみで耐えた。

何もない大地で自転車を修理する為に自転車を立て掛ける場所もない。

休憩や煙草を吸うときでさえ、立って自転車を抑えながら休んでいたほど。

仕方なく、大きな岩や落ちているトラックのタイヤを立てて自転車を支え、修理したりした。

町もなければ、修理の為の部品もない。

仕方なく、道に落ちている修理に使えそうな鉄くずを走りながら探した。

何日も、走っては壊れ、また直し、そして走って、壊れの連続。

万全でもう壊れないだろうと思って

修理した次の日、またボコボコ道にやられ2時間後に簡単に壊れた。

 

道中であったトラックの運ちゃん達に何度か自転車を荷台に載せて

運んでくれると言われたけれど

最後の日本へ帰るところまではどうしても自分の力で

走り切りたかった。

丁重に断り、お礼を言った。

↓休憩中に会った遊牧民の親子

 

永遠と続く悪路に耐えられず、何もない大地の中、山と丘の繰り返し。

道も分からなければ、町に着けるのかという不安。

電線が現れだした時は、とにかく、どこかの町につけるという安堵感が湧いた。

6月の初旬のモンゴルの寒さは雪もちらつき、風も強風で冷たい。

中国からの気温差と疲れからで風邪にかかり出したりもした。

水や食料の不安、そしてボロボロの自転車。

精神的にも肉体的にも、やられまくった。

発狂しそうになった。

何度も大声でどなり散らした。

本気の本気120%の気持ちで
チャリを辞めてぇーと思った。

↓遊牧民の家、建設中

 

モンゴルに入って6日目にアクタイという

大きな町に着いた時、フランス人の自転車旅行者に会って

ここで助けられた。

彼と会った瞬間から意気投合。

彼は西へ、自分は東へと向かっていたので

ほんの1時間ばかり話をしただけだったのだが

同じ境遇を分かち合っているというだけでパワーをもらえた。

そして彼が、かなり詳細の書かれたモンゴルの地図の過ぎてしまった使わないものをくれた。

大草原や山の中へ向かう細かなダート道まで記載されている地図。

これがかなり助かった。

正直、ここまで鼻毛も切る余裕もなかった。

彼を見たら彼も鼻毛が伸びていた。

これにも共感を得たし、嬉しくなった。

とにかくもかくにも
強烈な強烈なモンゴルだ。

↓お世話になった遊牧民家族。ご飯を頂いた。
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↓酔っぱらった地元民。ご飯とお酒をたっぷりと頂く
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↓水をもらいにいったら、ご飯まで頂いてしまった。
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↓休憩中にバイク4台で現れた遊牧民の人たち。
水がなくなりかけていたので、水をもらえないかと尋ねると
水はないけれど、ウォッカはあると言われ昼間から広大な大地で宴会を始めた家族。
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↓テントを張った近くの遊牧民の親子
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↓通りすがりに止まって声をかけてくれたキャンピングカーで旅するドイツからの夫婦
👇風が強くて風よけのために橋というか水路の下にテントを建てた
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↓遊牧民の家の横にテントを張らしてもらった
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