不思議な偶然のようなこと

2021年

不思議なことはあるものだ。

 

今年の2月に親友の7回忌があった。

午前中にお墓参りをし、その日の夜に親友の兄さんと食事をする予定だった。

 

その頃、自分は埼玉の実家近くで座禅をさせてもらえるお寺を探していた。

 

コロナの影響で多くのお寺で座禅会を中止しているところが多かったが
何件かのお寺は週に1回1時間ほどの座禅をやっていた。一般の人も参加可能だった。

 

親友の兄さんに命日のことで連絡を取っていて、そこでたまたま座禅に行くので兄さんもどうですかと誘った。兄さんも行こうかなっと言ってのってくれた。

 

そして他に空いてる日がなかったのか定かではないが、なぜか親友の命日の日に座禅に行かないかと兄さんが言ってきた。

それに驚いた。

 

親友の命日は兄さんと食事をする予定だったが、なぜか2人で座禅をすることになった。

 

そしてたまたま座禅会が命日の夜にやっているお寺が1つだけ近くにあった…。

 

後日その座禅をするお寺の情報を親友の兄さんにLINEで送った。

 

すると返ってきたのが

「このお寺、昔、弟が行っててお世話になったところじゃない?」と。

えーー!?

親友は20歳過ぎぐらいからお寺の修行などに興味を持っていた。

お寺に通ったり、短期で住み込んでいたのも覚えていたし、そのお寺に自分も顔を出しに行ったのも覚えていた。

だが、記憶が定かではなく、違う場所でやっていたと思っていた。

 

まじかーー。

ここだったかーー。

 

 

たまたま、座禅をやっているところが見つかり、それもたまたま命日にやっていて、たまたま兄さんに声をかけたら、たまたま行くことになって。

そしてたまたま、そこが亡くなった親友が昔、お世話になったお寺だった。

たまたま過ぎて、たまたまなのか、きんたまなのか分からなくなってくる。

↓埼玉秩父郡芦ヶ久保の氷柱

 

そしてその親友の命日。

午前中にお墓参りをし、夜に親友の兄さんとお寺の座禅会に出た。

 

座禅も終わりその帰り際。

兄さんがご住職に弟が昔、お世話になったこと、そして亡くなったこと、この日が命日だったことを伝えた。

御住職も親友のことを覚えていて亡くなったことに驚き、残念に思っていた。

そして、明日の朝に彼の為にお経をあげますねと言って下さった。

 

親友の7回忌の法要はコロナの関係もあり行われていなかった。

法要が出来なかったが、ここのご住職がお経をあげていただけるという出来すぎた流れになった。

そんな親友の7回忌の出来事だった。

 

この日までの経緯は何か偶然が重なったようにみえるが、偶然じゃなく流れるようにそこにピタッとはまったのは亡くなった親友がなせる技の様な気がしてならなかった。

 

不思議な偶然のような出来ごとだった。

 

親友が亡くなった話もブログで5年ぐらい前に少しだけ軽く載せた。でも今ならしっかりと書けそうな気がした。

 

近いうちに書けたらと思いますが書けるのか本当に…。

↓埼玉県大宮の氷川神社

 

そうそう、それともう一つ、偶然のようなことがあった。

去年の11月、北海道での出稼ぎ仕事が終わり、函館に何泊かした。

函館の街を歩いてたら現在千葉に住んでいる学生時代からの男友達が前から歩いてきた。(正確には友達の声に気づいて、その顔を見たら友だった。)

驚き過ぎた。

びっくりし過ぎた。

全く何も連絡もしてなかったのに出くわした。東京や関東で出くわすのならまだしも、何故にまた北海道で会うのかと。

少し時間がづれていたら、一本道が違っていたら、声に気づかなかったら… 出くわさない。

 

 

一つでも選択が違っていたらそこで会うことがなかった。

 

そして思った。

この出会いに限らず

全ての出会いや物事の事象や現象はとてつもない多くの自分の選択の結果、繋がっていて起こっていて、単純なように見える出来ごとも深くみると、とてつもなくダイナミックでドラマチックなんだと思えた。

そう考えると出会いと別れの連続の人生はドラマチック過ぎて意味が分からなくなる。

絶対面白いぞ人生!笑

 

そんなことを考えた偶然のような出来きごとだった。