もう、ここで旅を終えて帰国する。

チャリの旅(カザクスタン、ウズベキスタン、キルギスタン)

先日、36歳の誕生日を迎えた。
 
 
キルギスの首都、ビシュケックの近郊の国立公園 アル アラシャでの2泊3日でのキャンプ中だった。一応、4200mの名前が分からない山を誕生日に登リそして、誰もいない山の中腹でテントをはり過ごした。

久しぶりにお酒を買い、焚火をしながらいろいろと一人で思いにふけっていた。

ドン底にいると思えた。この歳でお金もなく、先も光も見えていない。
底の底。

カードで借金している自体アウトだろう。

俺、もう日本へ帰ろう。
自転車の旅もここで終わらせ帰国しようと思った。

 
36歳。もう切り替え時だろう。

働いてお金を貯めて、旅を続けることもできるけれどまた時間がかかるし旅じゃないものに早く切り替えたい。正直、全てにおいて満足している。人がなかなか見れないところも、もう十分見ただろう。

 
旅でやりたいことは、まだまだあるけれど
それを言ったらきりがない。
 
もう、ここで旅を終えて帰国しよう
そう思った。
 
ただ、自転車で日本へ帰るという目的を途中で
断念するというのだけがひっかかっていた。
 
お金なしのこのまま、突っ込んで行こうか
帰国するかの選択の決断を近日中にしようと思い
山を下りてきた。
 
いい意味でお金がなく、頭を冷やすことができた誕生日だった

 

そしてビシュケックの街に戻り、決めた。

残りヨレヨレになりながら
自転車で日本へ帰ろうと。

お金の大きな問題も、何も食べなければいい、どこにも泊まらなければいい。そう思って最後にきつい状況だけれども、やってやろうという気になっていた。

そんなんで、カザフスタンのビザ待ちの日々を送っていたところいつもは滅多に自分から連絡をしない母親からのメールが届いていた。

ちょっと心配になってメールを見ると

お金を送ったから
たまには、美味しいものでも食べなさい

の一文。

こんな状況の中、こんなタイミングで苦しいぶん、暖かみが骨身に染み込み過ぎた。

涙がでた。
そしてその反面、自分が情けなくなった。

この歳で両親からお金を送ってもらい、心配をかけこんな状況にいる自分がとてつもなく情けなくなった。

ただ、何で、自分がお金がないのを知っているのか不思議だった。お金がないと伝えたわけでもなくブログを見ているわけでもなく誰かから状況を聞くというのはないように思えた。

両親には山から降りてきて
たぶん、夏には帰国するとメールで伝えていた。
感謝の想いとお詫びの国際電話をかけた。

自分の窮地を知ったというわけではなく想像でどうせ何も食べてないでしょうと言う。

うちらわ、いつもいいもの食べているけれど
何かたまには最後にいいものを食べなさいと。

心が締め付けられる。
心からの感謝をして電話を切った。

不思議だ。ばか息子の悲痛な心の声が届いたような、最後にしっかりやりなさいと言わんばかりに背中を押されているような気がした。

そして、決めた。

限界まで送られてきたお金には手をつけず
日本へ最短距離で死物狂いで自転車で駆け抜けようと。

そんなんで後2カ月以内に帰国する!!!
1日も休まず、朝から晩まで限界まで飛ばす!
ワールドカップなんか関係ない!!
宿も泊まらん!

7月の中旬には日本に着く!

待ってろ日本!!

黄砂よ!!自分をその風に乗せてくれ!!

本当に最後!!!やってやる!!!
どんな、困難でもかかってこい!!!
帰るぞ、日本!!!チャリンコで!!

ブログの更新や連絡が日本に着くまで出来ないかもしれませんが、無事に日本へ帰りますので心配はしないでください!