複雑なオリンピック

チャリの旅(トルコ)

東京で二度目のオリンピックが開かれる。
日本人としては嬉しい限りのはずが
トルコにいる自分はちょっと複雑な心境だった。

普通に考えるなら一度開かれている東京より
一度も開かれていないイスタンのはず。

そしてここの国の人にどれだけお世話になっているのかを
思うとイスタンで開かれてもほしかった。

オリンピックの話になるとトルコ人皆がおめでとうと言う。
そして自分はソーリと言う。

トルコの人になぜ日本が選ばれたのかと尋ねれば
お金持ちの国だからと言う。
今まで開かれたとこを見れば皆お金持ちだろうて。

一体どうやってお金持ちになるかって
オリンピックが開かれてお金が入って
お金持ちになるのじゃないか。

どうやってトルコはお金持ちになれば
いいのさと嘆いていた。

👇山の中の街

 
聞いていて、いただけなく思ってしまった。実際は日本のプレゼンがうまくいったということかも知れない。中東情勢の不安定も含まれていたかも知れない。はたまた裏ではお金が動いていたのかも知れない。

日本から来ているというと若い人も年配のかたもトルコと日本は親友だからなと言って
反日が騒がれる中、親日を口にしてくれる。

何でも明治時代にトルコの難破船を多くの日本人が協力して
助けたのが親日になった理由とか…。

くしくも、そんな親友国同士のオリンピック争い。

今回のオリンピック開催にこぎつけた並々ならぬ努力はとても美しいし日本人に大きな希望を与えてくれるものであるのは確かだけれども一度開かれているならば譲ってもよかったのではとも思えた。

複雑だ。

そして皆が皆、全員の幸せというのは
世の中ありえないと思えてきてならない。

世の中もまた複雑だ。

👇途中、何度か峠を越えた。
もうすでに紅葉が始まっていた。

 

👇3日間ほど、雷を伴う激しい雨が
降っていたのだが。
その雨上がり。
とてもクリアーで綺麗な虹が突如現われた。

👇雷雨前の街

👇2200mの峠 嵐前の写真

2200mほどの峠付近で
雲行きが怪しくなってきたと思ったら案の定
嵐がきた。

運よく峠で見つけた屋根の
ある倉庫があったので
そこでテント泊をした。

それは満月の夜だった。
本当であれば綺麗な月がそこから
眺められたであろうはずが・・・嵐。

初めて雷の怖さを知った。
目の前で雷が落ちた。
体の内を貫くズドーンという爆音と
一瞬の閃光。

その後、瞬きする度にその閃光が
目に焼きついていて光の残像が現われてきていた。

これが本当の目に焼きつく
耳に残るということなんだと思った。

 👆嵐の翌日峠からの眺め

そして自分の方は3日ほど前に
トルコの黒海沿いの
トラブゾンという街までなんとかきた。

 
もうグリジア国境まで3日もあれば着けるだろう。
ついにトルコを抜ける。
 
と、おもいきや!
得意のチャリ置き去り!

そして山登りに行く!

 
トルコ最高峰かつ旧約聖書にでてくるノ
アの箱舟が大洪水の後
流れ着いたとされるアララット山へ!
 
標高5137m、特に危険箇所はなく
パーミットを50ドルぐらい払えば
2泊3日程で単独の登頂が出来るという。
ただ風がとても強いという話は聞いた
そしてもう9月の終わり。
寒さと標高への順応さえ出来れば
いけるだろうか。
 
とにかく今日これから起点の
ドゥバヤズットという町へ行き
情報収集してなんとか登ることにチャレンジしたい。
 
そんなところです。
 
そしてまだまだ、ネット規制の網にかかってブログが開けずコメントが返せません!
(ブログの更新は出来るのですが・・・)すいません!

                  チャリで下っている映像です。何もなく面白みにかけますが、よかったら見て下さい。