以前こんなことがあった。

チャリの旅(イタリア・クロアチア・モンテネグロ・アルマニア・ボスニア・マケドニア・ギリシャ))

クロアチアを北から南へと縦断する際ほんの10kmだけ、ボスニア・ヘルツコビナという国に入国した。

前回の旅、当時28歳だったか。
このことを思い出した。

前回のMIXIの日記をそのまま貼り付けるので知っている人は写真だけでも見て下さい。

題名 パトレシア 2006年の出来事です。

ボスニア、サラエボ イバナ宅に
泊まってしまいました。

これを誰かに伝えたくて、伝えたくて。

イバナはここの辺りを旅している人は知っていると思いますが、そこの家に泊まると日本人の男の人は襲われると有名な人です。自称32歳。見た目は50過ぎのおばちゃんです。

危なかったー私のパトレシア。

運が悪く、宿泊客は自分1人。

初めはこのおばちゃんはイバナじゃないと思っていたのですが(名前をヤスナと言っていたので)、部屋に着くなりブチューとキス。

まあまあこんなんヨーロッパスタイルだと。

そして夜。

食事をイバナ宅で頂いている時、

今夜一緒に寝ようと言ってきた。

意味が分からない。

もう2度3度

一緒に寝ようと言ってきた。

意味が分からない。

断固として拒否。

そしたらプクッーと膨れ面になり
イバナの機嫌がいっきに悪くなる。

意味が分からない。

まあそれの方がいいと思い、気にしなかった。

その後
寝る前に、再度同じ質問が来る。

一緒に寝ようと。

何もしないから、ただ一緒に寝るだけと付け足す

意味が分からない。

そして、
アイム ノット ハングリーとおっしゃた。

私はお腹がすいてませんと言いおった。

自分はは食べ物か!?

これにはちょっと笑った。

やはり再度最後に寝始めて、15分後ぐらい。

寒くないかこっちこないかと。

NO。

そんなこんなで
どうにか自分の可愛いパトレシアは守られました。

寝ていても夜中に襲われるんじゃないかと
なんか女の人の気持が少しわかった気がした
この日でした。

ここボスニアは10年ほど前に紛争があり多くの人が無くなり多くの人が身内を無くして大きな悲しみの痕が今も残っている街です。

実際、ここは首都であるにも関わらず今までに見た事がないほどのお墓の数を街の中心近くに見かけたり、ピストルの痕、爆弾の痕など、いまだに残っていました。

そんな悲しみをいまだにイバナは
心のどっかに持っているのかもしれない。

身内を無くして精神的病んでいるのかもしれない。

でも私はパトレシアを守りました。

 

 

イバナは今は元気にしているだろうか。

と思い出しながら
見た目は分からないけれどこの辺一体は遠くない過去に悲しみが多く残るところなんだっと改めて思い直す。

そんなこんなでモンテネグロを抜けアルマニアにいる現在。

きたきた、物価がグーンと

グググーーン
と安くなってきた!

これを待っていた!
昨日、ピザの30センチぐらいのを食べたけれど
なんと1.5ユーロ!
これはきた!

今日、マケドニアに入る予定!
いくぞー


路上でのお店も増えてきた。(アルマニア)

ビーチは人で大賑わい

👆ポツーンと街

ピサ屋のあんちゃん達

👆パン屋の大量なパン